松永先生 写真.png

​あいさつ

皆さんはじめまして、V-net(ブイネット)主宰の松永暢史です。
V-netは、単なる国語専門の個人指導塾ではありません。
受験成功だけを考えて子どもを壊すような教育をするのではなく、いつまでも向上する習慣を付ける延長線上に受験合格を設定しています。

V-netを利用する生徒さんたちの中には、自分がV-netに通っていることを友達に秘密にする人がいるようです。偶然同じ進学塾に通っている子どもたちが鉢合わせをして「アーッ!」というようなことも起こります。これは親御さんも同様です。ご利用者のお母さまには「V-netは自分で探して行き着くところ」と口にされる方もいらっしゃいます。小学生たちが時々、学校で、実は音読や作文が驚くほど上手であることがバレたり、暗算に異様に秀でることが知られたりして、「キミはどこの塾に行っているんだい?」と聞かれて困ることが多いとも聞いています。塾の先生にバレて、正直に口にすると、先生がこのHPを見て、「フ~ン、キミは本当にユニークなところに通っているんだね」と言われることもあります。
思うにこれは、V-netで行われていることを人に伝えるのが難しいからだと思います。
カタカムナ音読法、サイコロ学習法、ペンネームでウソも書いちゃう作文法、リベラルアーツ、キャロムボード、おまけに焚火。確かに他の教育機関が絶対やらないことばかりかもしれません。でも、長年の教育環境設定コンサルの仕事を通じて、私はそれがこれまでの日本の教育でもっとも見落とされてきた点であると確信するのです。
とにかく、説明するのが難しいらしい。ここは百聞は一見にしかず、是非皆様の直接アクセス、並びに見学を期待したいと思います。

以上、小学生のお子さんをお持ちのご家庭を対象に書きましたが、実は忘れていただきたくないのが、そもそも我々が、高校大学入試の受験のプロであることです。子どもが自分から学ぶ力がつけば、その時こそ高度な国語力英語力を身につけさせる直接授業をすることが可能です。受験について、先々のことが分っているからこそその土台になることを語れるのであるとご理解いただければ幸いです。

「個」を生かす教育

Not for “all”, but for “Every”――。
V-netでは、生徒たちを「All」(総体)とは見なしません。常に「Every」(個々人)と認識します。


V-netのレッスンは、松永をはじめ、自らの指導方法や教育メソッドを持つ熟練教師たちが、個々の生徒の能力、特性、習慣などを観察把握し、それに基づき、生徒一人一人に合った指導方法を合理的変幻自在に用いるものです。
それは、たとえばスポーツの個人のコーチングに近いものだと思います。
つまり、ここには「型」がなく、生徒一人一人によって異なる指導が直接行われることになります。
変わりゆく教育の現状と新しく生まれてくる生徒たち、一般教育が行き詰まるのは、そこに「型」を当てはめようとするからだと私たちは考えます。
学校教育のような、いわゆる集団授業に限りません。一般の個人指導や個別指導でも、すぐに「型」にとらわれてしまいます。
能力が充分ではない教師は、どうしても「型」に当てはめようとして、結果的に個人指導の本質の個人対応がおろそかになってしまうことが多いのは笑えない事実です。「個性」に反する教育を受けている生徒の方も辛いだけでしょう。
V-netでは、生徒一人一人によって、完全に対応を変えることを旨とする、プロによる「直接指導」を行っています。

「対話」・「知的啓発」・「エネルギー交換」

そして、そのコアとなるものが、「対話」と「知性啓発」と「エネルギー交換」です。
生徒の知的関心を思いっきり引きだしてあげること。同時に、彼らのアタマだけでなく、ココロをも元気に、活性化させてあげること。
そのためには「他者」との、そして「自己」との対話を行える、充分な力を養ってあげることが大切です。
レッスンを通して、これらがなされるには、教師自身が旺盛な知的好奇心を持ち、対話を含む自己の活動に積極的な人物である必要があります。
V-netの教師たちは皆、それぞれが熟練教師としての顔とは別に、芸術家や文学者、研究者といった顔を持っています。実は、そのように多方面で活動していることは、以上の「対話」・「知性啓発」・「エネルギー交換」をレッスンで行うために、欠かすことのできない素養なのです。
つまるところ、単に勉強を教えるだけでの教師では、真の意味で生徒のアタマを良くすることはできません。
何となれば、教育とは全人格的な行いであるからです。
またV-netでは、野外での「焚き火の会」や、文化施設をめぐる「フィールド・ワーク」を頻繁に行っておりますが、これらも知性の啓発や心身の活性化を目的とした、V-netの理念をレッスン以外の場で具体化した活動であると言えるでしょう